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[めきし子 ] さんのブログ しっぽ…。犬を観察してみてほしい。本人の一部なのに、本人(本犬)が望んでいないことをしているように見える。このブログも、ちょっとそんな期待がある。しっぽの先で、本人が望んでないことまで書いてしまう…かも。(c) MexiCo[めきし子]
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時々、自分の最後の日を想像する。

別に、今、余命を宣告されているわけではない。
子供の時から、よく、最後の日を想像したりして
いたのだ。それは、ちょっとおバカなナルシスト的な
ことのようにも思えるけれど、私のもっとも切実な
思いから生じたことだったというのが、今はわかる。

私には、四つ下の弟がいて、彼が生まれる前に、
もう一人弟がいた。
その子は、生まれてまもなく、わずか
三ヶ月で亡くなった.

悲しい事故だった。自分は三才で、
その日の記憶が自分にとって、一番古い記憶
になった。
朝から夕方まで、自分の言った言葉、父や母や兄の顔、
庭の花、日の光の照りぐあいまで、その日のことは、
克明におぼえている。

心に感じていたことも、今でも鮮明に残っていて、
その時の自分に容易にリンクできる、
なによりも私は、泣き叫ぶ母を助けたかった。
でも、何もできないと感じていた。なぜなら、
自分は子供だから。
私は、その時、パニックになっている父と母の後を
必死でついて歩いていただけなのだ。はぐれたりして
父や母がこれ以上困らないように。

父や母や弟を思う一方で、私はどんどん不安になっていった。
つまり子供だから。
もし自分がいなくなったとして、父と母は、
弟を失った時のように、悲しんでくれるだろうか?
父と母にとって、弟ほどかけがえのない存在になるには
どうすればいいのかわからなかった。
自分も、父と母にさめざめと泣いてもらえる
存在でありたかった。まだほんの子供の自分としては。
だから、自分の最後の日を想像して、父や母が悲しみにくれる
姿を思い、自分をなぐさめていたのだ。

生きているということは、誰かのかけがえのない存在で
ありたいと願うことのように思う。
そして誰かを、かけがえのない存在として、実感する
ことなのではないかとも思う。

えーと、これは、これで、むずかしいことなのですが。

だから、私は自分の最後の日を想像して、自分で自分に
かけがえのない存在と思ってあげないといけないのかもしれない(笑)
(C)Tanabe Mexico
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コメント
無題
ぐぐっと。。きました。
すごく納得できた!
【2008/02/01 13:50】 NAME[ずーりっひ] WEBLINK[] EDIT[]


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